M&A時の未払い残業代はどうなる?対処法、法改正の影響も解説

取締役
矢吹 明大

株式会社日本M&Aセンターにて製造業を中心に、建設業・サービス業・情報通信業・運輸業・不動産業・卸売業等で20件以上のM&Aを成約に導く。M&A総合研究所では、アドバイザーを統括。ディールマネージャーとして全案件に携わる。

M&Aにおける残業代未払い金の有無は、簿外債務として大きな問題です。本記事では、M&Aの残業未払いについて、過去の事例を交えながら、残業代の基本的な仕組みや未払い残業代問題が発覚する主なパターンとその対処法、法改正の影響を紹介します。

目次

  1. 未払い残業代は中小企業M&Aで多く見られる簿外債務
  2. 2020年4月より労働基準法改正点が中小企業にも適用
  3. M&A時の未払い残業代にはペナルティが発生
  4. M&Aに未払い残業代が与える影響
  5. M&A時に未払い残業代がある場合の対処法
  6. M&A時の未払い残業代の対処法まとめ
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1. 未払い残業代は中小企業M&Aで多く見られる簿外債務

中小企業の場合、未払い残業代は簿外債務としてM&A実施時のデューデリジェンスで発覚することも多いでしょう。簿外債務とは貸借対照表に計上されない​​​債務をさし、簿外債務に多く見られるものには未払い残業代以外に退職給付引当金・リース債務・債務保証損失引当金などがあります。

現金主義での会計処理が多い中小企業では簿外債務が生じやすいですが、M&A時に未払い残業代があった場合はどのような影響があるのでしょうか。この記事では、M&A時に残業代の未払いがあるとどのような影響があるのか解説します。まずは従業員の残業代の仕組みと、未払い残業代問題が発覚する主なパターンを見ます。

従業員の残業代が発生する仕組み

未払い残業代の発生を防ぐためには、まず残業代が発生する仕組みを正しく理解しておく必要があります。ここでは、2種類ある従業員の労働時間と従業員の労働時間の考え方を見ましょう。

従業員の労働時間には2種類ある

従業員の労働時間には、会社法人が独自に定めている「所定労働時間」と、厚生労働省が定める「法定労働時間」の種類が存在します。所定労働時間とは雇用契約書や就業規則などに記載されている労働時間をさし、昼休みなどの休憩時間は含まれず、一般的な残業代は所定労働時間をベースに算出されることが多いでしょう。

法定労働時間は、原則1日8時間および週40時間の労働と定められており、会社や企業はこの範囲内で所定労働時間を設定しなければなりません。例えば、会社の始業時間が8:30、勤務終了時間を17:00、休憩時間を1時間とした場合、所定労働時間は7.5時間です。同じ条件で30分の残業が発生した場合、一日の総労働時間は8時間となるので法定労働時間としては残業代に当てはまりません。

上述したとおり、一般的に残業代は「所定労働時間」を基準にして計算されることが多いので、会社としては30分超過分の残業代を支払う必要があります。

従業員の労働時間の考え方

経営者であれば、残業代などの人件費は極力抑えたいと考えますが、厚生労働省は労働時間を以下のように定めています。

【国の定める労働時間の考え方】

  • (労基法、労基法から派生した労安衛法・労災保険法等の労働保護法規、労働契約法、均等法など)の適用対象である「労働者」に該当するか否かは、実態として使用者の指揮命令のもとで労働し、かつ、「賃金」を支払われていると認められるか否かにより決まる(労基法9条、労契法2条1項)。

簡単にいうと、労働基準法上における労働者とは使用者(経営者)の指揮命令下で働いて、その対価として賃金を受け取っている者をさします。

職種は不問ですが、決められた場所や時間で働いていること、請負代金として報酬を受け取っていないことなどを満たしているかによって、労働者に該当するか否かが決まるでしょう。

労働者に該当するか否かは客観的に証明する必要があり、​​中小企業​​​​​M&Aで未払い残業代が簿外債務として度々発生するのは、経営者側が労働者の基準を正しく理解できていないケースも多いためです。

未払い残業代問題が発覚する主なパターン

未払い残業代問題が発覚するタイミングは、ある程度パターン化しています。ここでは、主な3つの発覚パターンを見ます。

【未払い残業代問題が発覚する主なパターン】

  • 従業員からの請求
  • 労働基準監督署の調査
  • M&Aのデューデリジェンス

従業員からの請求

1つ目は、従業員(退職者を含め)からの請求によって、未払い残業代があることが発覚するパターンです。従業員には当然未払い分の残業代を請求する権利があり、残業代請求権は3年が消滅時効であるため、退職した従業員から請求されるケースもあります。

M&A手法が株式譲渡などのように包括承継であれば、未払い残業代を支払う責務も買い手に引き継がれます。

【関連】株式譲渡で起きうるトラブルを回避する方法10選!【事例あり】

労働基準監督署の調査

労働基準監督署が行う調査によって、未払い残業代が発覚するケースもあるでしょう。労働基準監督署が行う調査には、主に定期調査と申告調査の2種類があります。

定期調査は、労働基準監督署の基準によってランダムに選ばれた会社が対象です。申告調査は、労働者から何らかの申告があった場合に実施され、未払い残業代の問題以外でも会社に対して是正を求める申告があれば、労働基準監督者の判断で調査が行われます。

未払い残業代の問題はどちらの調査でも対象となり得ますが、申告審査は具体的な問題があることを前提に進められるため、定期調査に比べると厳しい内容となるでしょう。

M&Aのデューデリジェンス

3つ目は、M&Aを行う際のデューデリジェンスによって発覚するパターンです。M&Aでは買い手が売り手企業に対してデューデリジェンスを行います。

M&Aで用いる手法が株式譲渡のように包括承継である場合、買い手は資産だけでなく負債も引き継ぐことになるので、未払い残業代などの簿外債務に対して細かく調査が行われます。

先に述べたとおり、残業代請求権は消滅時効があるため、少なくともその期を客観的に証明できることがデューデリジェンスで必要になるでしょう。

【関連】DD(デューデリジェンス)の意味とは?種類から注意点や期間まで解説!

2. 2020年4月より労働基準法改正点が中小企業にも適用

2018年4月、「働き方改革」の一環として労働基準法の改正が施行され、時間外労働に上限が設置されました。2019年より、大企業に新たな労働基準法が適用され、2020年4月以降は中小企業も対象です。

この章では、労働基準法の改正における時間外労働の上限規制と、未払い残業代の請求期間を見ましょう。

時間外労働の上限規制

時間外労働の上限規制は、臨時的で特別なことがなければ、原則月45時間、年360時間までです。臨時的かつ特別の事情があって労使が合意する場合でも、以下を順守する必要があります。

【新しい36協定において協定する必要がある事項】

  • 時間外労働:年720時間以内
  • 時間外労働+休日労働:月100時間未満、2〜6カ月平均80時間以内
  • 原則である月45時間を超えられるのは1年(12カ月)で6カ月まで、上限を超えた労働は罰則の適用対象

これまでは罰則に対する強制力がないことが問題でしたが、現在は、特別条項の設置によって臨時的かつ特別の事情があっても、上記条件を順守しなければなりません。

時間外労働の上限規制を無視した場合は、6カ月以下の懲役または30万円以下の罰金が定められています。中小企業がM&Aを行う際は、これらがしっかりと守られている点も重要視され、違反していれば売却価格にも影響を及ぼします。

M&Aを検討されている場合は、自社がコンプライアンスに正しく従っているか確認しましょう。

未払い残業の請求期間延長

時間外労働の上限規制とともに未払い残業代の請求期間も延長され、併せて新たな3つのルールが定められました。

【未払残業の請求期間延長項目】

  • 賃金請求権は消滅時効期間が延長
  • 賃金台帳などの記録は保存期間の延長
  • 付加金の請求期間が延長

賃金請求権は消滅時効期間が延長

2020年4月1日の労働基準法が改正とともに、離職した従業員からの未払い残業代請求の時効が2年から3年に延長されました。

同時に民法の債権事項も大きく改正され、労働基準法と民法両方合わせて5年に延長されましたが、期間延長に伴う中小企業の負担軽減のため、当面の間は離職した従業員からの未払い残業代請求における時効は3年間と制定されています。

【消滅時効期間の対象リスト】

  • 金品の返還(労基法23条、賃金の請求に限る)
  • 賃金の支払(労基法24条)
  • 非常時払(労基法25条)
  • 休業手当(労基法26条)
  • 出来高払制の保障給(労基法27条)
  • 時間外・休日労働等に対する割増賃金(労基法37条)
  • 年次有給休暇中の賃金(労基法39条9項)
  • 未成年者の賃金(労基法59条)

賃金台帳などの記録は保存期間の延長

賃金台帳などの記録も、保存期間が3年間から5年に延長されました。こちらも、現在は中小企業の負担軽減策として、当面の期間は3年間の保存期間が適用されます。

【保存期間延長の対象書類関連リスト】

  • 労働者名簿
  • 賃金台帳
  • 雇入れに関する書類
  • 解雇に関する書類
  • 災害補償に関する書類
  • 賃金に関する書類
  • その他の労働関係に関する重要な書類
  • 労働基準法施行規則・労働時間等設定改善法施行規則で保存期間が定められている記録

起算日の明確化を行う記録は、賃金の支払いにかかる「賃金台帳」「賃金に関する書類」「その他の労働関係に関する重要な書類」「労働基準法施行規則・労働時間等設定改善法施行規則で保存期間が定められている記録」に限ります。

付加金の請求期間が延長

付加金の請求期間が5年(これまでは2年)に延長されました。この条件も前者同様、当分の間は3年間が適用されます。付加金の請求期間延長の対象は、以下のとおりです。

【付加金の請求期間延長の対象リスト】

  • 解雇予告手当(労働基準法20条1項)
  • 休業手当(労働基準法26条)
  • 割増賃金(労働基準法37条)
  • 年次有給休暇中の賃金(労働基準法39条9項)

【関連】M&Aの法務DD(デューデリジェンス)とは?手続き、チェック項目を解説!

3. M&A時の未払い残業代にはペナルティが発生

未払い残業代が発覚する3つの主なパターンを紹介しましたが、従業員から請求される場合は退職後のタイミングが多いでしょう。在職中に未払いの残業代を申請しにくい従業員の心理が影響していると考えられますが、労働基準法改正で未払い残業の請求期間が延長されたため、M&A実施段階で発覚すれば影響も大きくなります。

この章では、残業代の未払いがあった場合に発生するペナルティを解説します。

債務不履行による遅延損害金または遅延利息

令和2年4月1日に労働基準法が一部改正されました。債務不履行による遅延損害金または遅延利息は、2020年3月31日までの未払い残業代と、2020年4月1日以降の未払い残業代で異なります。

【従業員在職中の場合 | 遅延損害金または遅延利息】

  • 2020年3月31日までの未払い残業代:一般の会社に勤務していた場合は6%、NPO法人・病院などの医療法人・学校などに勤務していた場合は5%
  • 2021年4月1日以降までの未払い残業代:業種・勤務先にかかわらず年6%

【従業員が退職済みの場合 | 遅延損害金または遅延利息】
  • 業種、勤務先にかかわらず年 : 14.6%

退職済みの従業員に対して未払いの残業代があった場合は、未払い残業代の支払いとともに年14.6%の遅延損害金、遅延利息を支払う必要があります。デューデリジェンスで発覚すればM&Aに影響を及ぼすので、日頃からしっかり確認しましょう。

付加金の発生

退職済みの従業員に未払い残業代があった場合、罰金が課せられるだけでなく付加金も発生します。付加金とは、労働基準法に基づき裁判所が事業者に課せられる罰金をいい、本来支払われるべき未払い残業代と同額の罰金を支払わなければなりません。

つまり、退職済み従業員に対しては、遅延損害金または遅延利息に加えて、2倍の罰金も支払わなければなりません。

4. M&Aに未払い残業代が与える影響

M&A時に残業代の未払い問題が発覚した場合、どのような影響があるのでしょうか。この章では、残業代の未払いがM&Aに与え得る主な影響を解説します。

【残業代の未払いがM&Aに与える影響】

  1. 正常収益力が低くなり売却価額に影響
  2. 過去の未払い残業代は簿外債務とみなされる

正常収益力が低くなり売却価額に影響

M&Aの買収価格は企業価値をベースに交渉を進めていき、その後買い手によってデューデリジェンスが行われます。財務デューデリジェンスでは、売り手の資産・負債・運転資本や資金繰り・正常収益力などが細かく調査されますが、その際に未払い残業代が簿外債務として存在していれば正常収益力は低くなるでしょう。

買い手は、売り手企業の価格評価が妥当であるかを目的としているため、正常収益力が低くなれば売却価格も下がる可能性が高いです。

過去の未払残業代は簿外債務とみなされる

先の章で述べたとおり、法改正により未払い残業代の請求時効は、労働基準法と民法合わせて5年に延長されました。当面は、退職した従業員からの未払い残業代請求の時効は3年間の措置がとられますが、過去の未払い残業代も簿外債務とみなされるため注意が必要です。

M&Aによって簿外債務を引き継ぐことは買い手にとっては大きなリスクの1つであり、債務の金額や状況によってはM&A後の事業運営にも影響を及ぼしかねません。

契約時に簿外債務に関する表明保証が盛り込まれるケースが多く、M&A後に発覚した場合でも、表明保証違反によって補償責任の填補を求められることがあります。

5. M&A時に未払い残業代がある場合の対処法

M&A実施を検討していて残業代の未払いがあることがわかった場合、どのように対処すればよいのでしょうか。この章では、残業代の未払いがある場合の主な対処法を解説します。

【残業代の未払いがある場合の対処法】

  • できるだけ早く未払い残業代を従業員に支払う
  • しっかりと改善策を講じる

M&A交渉前に未払い残業代を従業員に支払う

未払い残業代があることが判明したら、できるだけ早く従業員に対して支払うことが最も重要です。M&Aを検討しているか否かにかかわらず、早急に対処しましょう。

M&Aでは、交渉の最終段階でデューデリジェンスが行われます。買い手が行うデューデリジェンスでは、買収先の会社にひそむリスクや実態を把握し買収すべきかどうかを決定します。残業代が正しく支払われているかも確認する項目なので、相手先探しや交渉などの具体的な段階に入る前に支払いを済ませることが大切です。

未払い残業代を一括で支払うのが難しい場合などは、事実を隠して進めるのではなく、専門家に相談し適切に対処しましょう。

特別補償や表明保証で対応する

デューデリジェンス後に未払い残業代が発覚し買い手が損を防ぐためには、表明保証をつけておくことが有効です。

表明保証とは、買い手と売り手間で取り決められる契約の一部で、売り手が買い手に対して行う事業や資産に関する情報の開示や保証のことをさします。表明保証は、M&A取引においてリスクを最小限に抑えるための重要な要素です。

補償に関して細かい条件を付しておきたい場合、特別補償を設けておくのも効果的です。

M&Aの譲渡額で対応する

買い手が将来支払うことになるかもしれない未払い残業代の分をあらかじめ譲渡額から差し引いておくのも効果的です。

M&Aの譲渡額は、企業買収や合併において売り手が買い手に対して要求する事業や資産の価格です。譲渡額は買収対象企業の価値を示す重要な指標であり、適切な譲渡額を決定することがM&A取引の成功に大きく影響します。

事業譲渡のスキームで対応する

M&Aのスキームを事業譲渡に変更して、未払い残業代は承継しない契約を締結するのも効果的です。

事業譲渡とは、企業が他の企業と合併・買収を行う際に、事業や資産を移転する方法をさします。事業譲渡では、買い手が必要な資産や事業のみを選択的に取得できるため、買収リスクを低減することが可能です。

しっかりと改善策を講じる

未払いの残業代を支払うのは当然ですが、しっかりと改善策を講じることも大切です。残業代の未払い問題には複数の要因が絡み合っていることも多いため、よく検証して改善策を立てるとよいでしょう。

残業代以外に簿外債務がないことも、併せて確認してください。残業代の未払いや簿外債務などM&A検討時に不安がある場合は、できるだけ早い段階でM&A仲介会社などの専門家に相談することをおすすめします。

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6. M&A時の未払い残業代の対処法まとめ

本記事では、M&A時に残業代の未払いがあった場合にどのような影響を及ぼし得るかを解説しました。中小企業では簿外債務が生じやすく、なかでも未払い残業代は多く見られます。

未払い残業代はM&Aの売却価格に影響するだけでなく、正しく対処しなければ従業員から訴訟を起こされる恐れもあるので、残業代が発生する基準を理解して日頃から適切に処理しましょう。

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